ボリビアの文盲率は教育制度改革によって劇的に改善されています。

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教育

定義の問題

教育を論ずる上で、妥当な「教育の定義」があった方が良いだろう。
これは定説が無いため、当サイトは独自の考え方と定義を示す。
下記は教育の定義を広義に捉えた上で、当サイトで取り扱う教育の範囲を定義するためのガイドラインを示す。

総論

教育の定義は様々な視点から論議されているが、必ずしも定説が無い。
日本語としての教育の定義を辞書に求めると、『ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること』とされており、より具体的な例を交えて『知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること』とも定義されている。
又、百科事典に定義を求めると、より広義な定義が見いだされる。wikipediaに掲載されている教育の定義の4分類は、広義の教育の定義をかなりよく網羅したものとして、ここに紹介する。
語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)

CRDSH.comでの定義

教育には教える立場の者と、教わる立場の者がある。互いに教えあう場合でも、ある主題に特化すれば教える立場と教わる立場がある。
自学自習する場合、単に習得する場合は確かに教える者がいない(生物でないものから習得する場合もこれに当たる)場合もある。しかし、それが教育という概念の中で発生する場合、自学自習するための環境は教える立場の者の意図が反映されている。
又、教育においては、何かしらの形で情報が伝達される。例えば、算術の教育にあっては課題から正答を導き出す方法という情報が伝達され、スポーツにおいてはルールの範疇で身体を使う方法という情報が様々な感覚を使って伝達される。
しかし、教育は単なる情報の伝達ではない。情報の伝達という意味では、DNAのコピーも生体による情報の伝達には違いないが、これは明らかに教育とは言わない。
原則として情報の被伝達者が新しい知識や技能を習得することを、情報伝達者が意図している必要がある。しかし、この意図がどの程度明確であるかを問題にした場合、教育と非教育の境界非常に曖昧である。
人間の活動するあらゆる分野に教育は存在しうるものであり、形式さえ問わなければ実際に存在する。
動物の活動においても能動的な情報の伝達はあり、これをもって教育と呼ぶことはできる。
しかし、植物の世界における情報の伝達は全く偶発的で純粋に確率に支配されており、教育と呼べるものは無い。
必然的に、人間界の教育は社会的な活動となりやすい。

教育定義の要件

・教育には複数の個体が必要である。
・教育には情報の伝達が必要である。
・教育は被教育者の成長を意図している必要がある。
・教育は人間のあらゆる活動に付随する。
・教育が人間以外の生物の活動に付随することは稀。

CRDSH.comでは当面、上記要件を満たすようなあらゆる主題に包含される問題について取り扱う。
又、教育については便宜的に下記の通り定義する。 『教育とは、主体者が意図的に客体者の能力を向上させようとして行なう情報伝達行為である』

補足

CRDSH.comは元々教育を人類の英知の源であるとみなしていた。そして、その根拠となる事実を調査すると同時に、英知の根源が教育であるという前提から、教育の各論を説き起こすことを試みていた。
Center of Research and Deduction to Human Sagasity という、やや大仰な名前の由来である。

世界の教育機関

 

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